深海に面した良港を持つ海辺の民として、古くから今に至るまで、漁村独自の営みを紡いできた戸田。その暮らしぶりには今も昔も、海とは切っても切り離せない密接なつながりが息づいています。
千変万化する海の自然、漁業という労働、そして水揚げされる多彩な海産物。戸田をとりまく環境の中で重ねられた長い歴史の中から、他の地域にはない個性豊かな「戸田の暮らし」が築き上げられてきました。
人々と海、そして魚との距離感の近さ。それぞれの家ごとに伝えられた風習と我が家の味。漁の歳時記とともに移りゆく季節ごとの暮らし方…。
戸田の人々との出逢いには、そんな暮らしの魅力を発見する喜びがあるはずです。
戸田の暮らしには、多彩な深海魚料理の数々はもちろん、すり身や鍋、潮汁など、大切な海の恵みを小魚一尾までしっかりと活かした海のまちならではの家庭の味の伝統がしっかりと息づいています。
特に戸田の代表的な漁にちなんだ食事は数多く、西伊豆地方で盛んだったイルカの追い込み漁で漁獲される豊富なイルカを味噌味で煮つけたものは「体を温める」と言われる冬の定番料理でした。もちろんトロール漁で漁獲されるさまざまな深海魚の料理も一般的で、トロボッチやメギスの素揚げや甘露煮などはどの家庭でも日常的に食べられ、そんな料理のうちの一つ「トロはんぺん」は、今では戸田を代表する地域グルメとして全国にも知られるようになっています。
海での漁労は危険がつきもの。だからこそ、海の安全に感謝し、漁獲を祝う祭りは盛大です。
港への感謝と漁の安全を祈願する塩衣(えんぎ)式を皮切りに、豪壮な「黒潮太鼓」の演奏やショー、パレード等が繰り広げられる戸田港まつりは、戸田の夏を彩る最大の風物詩です。
天然の防波堤でもある御浜の岬に鎮座し、平安時代からの歴史を誇る諸口神社。 大漁祈願祭には、海の安全を祈願するために「ヒヤカシン」と呼ばれる参拝者が集い、春の弁天さんの祭りでは「御船歌」や「漁師踊り」が奉納される。
大浦の松ヶ崎の崖上にある金比羅神社でも、正月のお籠もりや漁期ごとの初乗り、新船の進水式、不漁の時の女衆のお詣りなど、折にふれて魚漁の祈願が行われます。祭礼(正月)の際は七福神を描いた大行燈が掲げられ神官によって祝詞が上げられ修祓が執り行われる。
同じく松ヶ崎の崖上には毘沙門天の祠堂があり、戸田の住民からの信仰を集めてきた。北が富士市鈴川の毘沙門天、東が伊東市の毘沙門天、そして西が戸田のこの毘沙門天と、3つの毘沙門天が駿河湾の安全を守っていると伝えられる。
戸田の漁船には、守り神として船神さん(フナガミ)・船霊さん(フナダマ)が祀られている。大きな船では神棚を据え、小さな漁船では帆柱にご神体を埋め込み、無事の帰港を祈念した。 海上だけでなく陸でも「家の神」として敷地内や大黒柱などに船霊を祀る家は数多い。
世界最大のカニ、タカアシガニを特産とする戸田では、大正時代の頃から家内の魔除けのお守りとして、タカアシガニの甲羅に鬼の絵などを描いた面を、玄関先に飾る風習が広まりました。
家族それぞれが思い思いの絵を描き、一年の厄病除けとして仕上げられる面はまた、戸田で暮らす子どもたちの格好の郷土玩具でもありました。 一時は継承者がいなくなりこの面づくりの系譜も途絶えてしまいましたが、「地域に伝わる貴重な民俗資源として末永く後世に伝えよう」と、土地の有志たちが蘇らせたもの。
近年は、観光客も参加できる手描き体験イベントなどを通じて、鬼や魔除けの絵にとどまらず人気キャラクターなどが描かれた面も盛んに作られ、海やその産物と密接につながってきた戸田の暮らしが、誰にも身近で親しみやすく感じられるようになってきています。
戸田では岬や浜、独特な形の岩などから海面下の岩礁(根)にまで、大変細かくその特徴をいかした名前がつけられています。これは主に漁師たちが漁業の際の目印にしたことから。今ではわかりますが、昔は目印のない海上で船の位置を知るには「山立て」と呼ばれる測量法が頼りでした。この山立ての目印となるポイントなどが、こうした数多くの名前となって今も伝えられているのです。
「赤岩」「割れ石」など岩の色や形から名づけられたもの、「水たれ」「滝尻」など地形の特徴、土地の利用のされ方に起因する地名、「馬乗り」「かに石」など物や動物の形になぞらえた地名、「身投岩」「鯨塔場」など言い伝えや事件などから名づけられた地名など、由来はさまざまですが、いずれの地名も土地の者に覚えやすく、また他とは明確に区別がつくよう配慮されています。
魚やエビ、カニなどの呼び名はその地方独特のもので、同じ名前で呼ばれる魚介類でも土地によってはまったく種類が違うという例も珍しくありません。
漁業と密接につながった暮らしが営まれてきた戸田でも、この地域ならではの魚介類の呼び名(方言)が数多くあります。
戸田を代表するタカアシガニが古くは「オオガニ」と呼び慣わされていたのを始め、「ヒラ(マイワシ)」「ハマゴ(キビナゴ)」「シビッコ(クロマグロの幼魚)」「カツー(カツオ)」「ヤイト(スマ)」「アオアジ(マルアジ)」「デン(シロムツ)」「クシロ(メジナ)」「ニノジ(テングハギ)」「サンノジ(ニザダイ)」「バリ(アイゴ)」「アオベラ(ニシキベラ)」「アワモチ(カワハギ)」「アオタ(ヨシキリザメ)」「コロ(カスザメ)」「ヨコサ(トビエイ)」などなど、戸田ならではの名称は枚挙にいとまがありません。
戸田の漁師たちの間には、「御船歌」と「祝歌」の漁師歌が伝えられています。御船歌とは祝いの席などで歌われるもので、「謡い」によく似た格調高い儀式の歌。江戸時代に戸田村の漁名主だった勝呂弥三兵衛国登が、紀州家から千歳丸という船を拝領した際に、この地に伝えられたとされています。 近年でも、進水式などの祝宴の際に「初春」「松」などのおめでたい御船歌が歌われています。
また本来は木材に従事する人々が歌った「木遣り歌」が、戸田には漁師たちの網引きの作業歌として歌われています。網を引き揚げる際に木遣り手が歌い、その声に合わせて漁師達がかけ声をかけながら調子を合わせて網を引くことで、人数以上の力を出すことができたと言われています。